命はみな平等?
先日、大好きなアーティストのライブに行ってきた。ライブ自体が初めてだったためとても緊張していた。
いざライブが始まり、そのアーティストのカリスマ性を肌で感じている最中、ふとこんなことを思ってしまった。
「目の前のあのアーティストが居なくなったら、この会場にいる約3万人くらいの人々が悲しむけれど、私が居なくなっても悲しむ人は、日本国内で指で数えられるくらいしかいないのか。」と。
私は、命は平等であると教えてくれた先生を恨むと同時に、目の前にいるアーティストに対して羨ましい気持ちが芽生えた。そして、それに気づいた時、彼女のカリスマ性がより一層引き立ったのを感じた。これが本来のライブの意味なのだろうか、とすら思えてきた。
そのライブに行ってから何週間か経つが、そこで芽生えた無力感を未だに払拭できていない。
もしかしたら、心のどこかで自分は特別な存在だと勘違いしているのだろうか。だから、ひょんなことでそれが否定されて悔しいのだろうか。
なにがともあれ、私は大好きなアーティストのライブで自分の無能さを痛感した。